元校長挨拶

笠岡小学校の思い出

 

 

旧職員 松 本 信 順

 平成4年笠岡小学校創立120年の年に、笠岡小学校に転勤を命じられた。新採用が牛窓小学校、その後は中学校と教育行政に勤務し、最後が歴史と伝統、教育の中心校である笠岡小学校だった。児童数は減少期にあり527名・18学級と29名の教職員だった。

 校地は旧小田県庁の跡地、学校は時代とともに変遷を繰り返しながら、東・西小学校が統合して笠岡小学校になったことは承知していた。

 学校の正門は、武家屋敷の風格を持った旧妹尾藩の長屋門を移築した由緒ある門扉であるが、入学式と卒業式を除いて、平素は使用されない開かずの門扉であった。正門の改修工事が終了したので、毎日正門から登下校させ、笠岡小学校の児童としての誇りと自覚を持たせたいと考えた。毎朝夕の門扉開閉は教員の負担になり、異論もあったが理解を得て開かずの扉が開かれた。嬉々として正門をくぐり登校する児童を迎えることが出来た。地域の方も校門の門扉が開いて、駅前からの見通しが良くなったと好感の声を聴いた。伝統ある校舎は、時々の必要に応じてつぎつぎと増改築を繰り返したので、校舎としての一貫性にかけ児童が移動するのには不便で、上履きの区別もつけにくかった。

 校舎を維持管理するには、先ず雨漏りを防ぐことが大切である。4校舎多目的室の天井が雨漏りで染みになっているので、市教委に修理を依頼した。業者の話によると、フラットの屋根は雨漏り箇所が見つけにくく、全面防水シートで覆わなければならないので、工事が大掛かりになると聞いた。

 丁度そのころ、社会教育施設である貫閲講堂も雨漏りがするので、市教委が新しい瓦に葺き替える工事の最中であった。貫閲講堂は学校行事を含め日常的に、学校が利用させていただいており、日々の管理は学校に任されていた。

 特に急がれているのが、家庭科室を充実させることだった。ミシン室と家庭科室と名札は付いているものの、ミシン室は児童机・椅子、廊下側に型の違う数台のミシンが置かれているだけだった。家庭科室はもっとひどく、児童机と椅子があるだけで、料理実習の時には、カセットコンロを机上に置き、水は廊下手洗い場の水道を利用するありさまだった。これで被服や調理実習ができるのかと驚くと同時に、児童や教諭の我慢強さに頭が下がり、申し訳ないと気持ちでいっぱいだった。新築の校舎では、特別教室に予算を掛けるのは、大島中学校で経験済みであった。

 家庭科教室の改築には、教室の配置図を作成しなければならない。2校舎1階の保健室に家庭科室とミシン室を置くプランを市教委に提出して、改築工事を急いでもらった。保健室は日当たりがよく、しかも運動場が見渡せる1校舎1階の研修室に移動することにした。市教委が提示した図面では、調理台が並び水道・プロパンガス管も配管されていて安心していたがいざ現物が入って見ると、新築校舎で不要になった2種類のリサイクル調理台だった。市の財政が逼迫状態にあることは承知していたので、どうしても忖度してしまう。だが児童や教諭にとっては、現状があまりにも不便だったので、調理台のシンクで洗い物ができ、ガスコンロが利用できるだけで喜んでくれた。伝統のある校舎には、リスクがともなうことを学んだ。

 つぎに図書室について触れたい。児童に少しでも本に親しめるようにと願って、時間割に図書室利用の時間が組まれていた。低学年の児童には図書室の机・椅子は、体に合わず姿勢が崩れがちである。そこで低学年用の閲覧室を設けて、敷き物を敷き読み聞かせや自由閲覧をさせた。時には寝転がってもよいではないかと考えた。

 昭和22年に発足したPTAの会則は、旧態然としていた。親が学校に協力する団体だと思っていたり、教員の中にも担当者や管理職に活動を任せておけばよい、というような雰囲気もあった。そこで会則を見直し、PTAは社会教育関係団体として、学校と家庭と社会が理解・協力し合って、児童の健全な成長を図るための活動をする団体である。会員の自覚を促すために、総会に定足数を定めた。つどい・むすび・たかまりあうPTAとして、学級・学年懇談会の充実、母親委員会の発泡性容器の回収、環境美化活動や手作りおやつ教室の開催、親子土ひねりを楽しむ会、交通視察と指導、グラウンドゴルフ大会の開催、他学年対抗ソフトバレーボール大会を開催するなど努力をした結果、平成4年に文部大臣PTA表彰を受賞した。

 環境整備も校長の手に委ねられていた。昇降階段のタイルの欠落箇所が随所にあったので、タイルを求めて張り付け、コンクリート廊下の穴を埋め、2校舎腰壁の塗装、校庭樹木剪定、徒長していた生垣を剪定すると職員室内が明るくなり、運動場が見渡せ児童の動きが確認できるようになった。

 毎日触れ合う児童は、純粋無垢で実に可愛らしい。短い2年間ではあったが、毎日が充実して満たされ、地元の笠岡小学校で教員最期の幕を閉じさせていただくことに感謝し、誇りとしたい。

 最後に、笠岡小学校が中心校としてますます発展し、社会的使命を果たし、児童が大空に向かって元気よく羽ばたいていくことを祈念してやまない。

 

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